藤原聡は、島根銀行の元トップ営業マン!人柄を表す感動エピソードも

2019年に大ブレイクし、一躍有名になった「Official髭男dism」(通称:ヒゲダン)。

島根出身バンド、島根発…と『島根』の印象が強いOfficial髭男dismですが、さらに、意外や意外!

ボーカルの藤原聡は「島根銀行」のトップ営業マンだった!という噂が。

噂の真相会社員時代の藤原聡の評判について調べてみました!

実はかなりの高学歴!?藤原聡(ボーカル)のプロフィール

一躍有名になった「Official髭男dism」(通称:ヒゲダン)

今や、全国的に有名になった人気バンド「Official髭男dism」。

その中でもボーカルを務める藤原聡は、一番人気。作詞作曲も手がけており、その音楽性が各方面から評価されています。

そんな藤原聡(ボーカル)ですが、実は、デビューする前は、「島根銀行」のトップ営業マンだった!というのです。

藤原聡が、これまでのイメージにない「銀行マン」に至るまでの道筋をまとめてみました。

田舎出身も高校から優等生だった?

鳥取県(米子市)出身の藤原聡(Official髭男dismボーカル)が高校のとき在籍していたのは、米子東高校

米子東高校は、全国的には知られていませんが、鳥取県内ではナンバー1偏差値が高い有名な進学校です。(偏差値は66〜69 ※2019時点)

すでにバンド活動を初めていたこの時期ですが、きちんと学業も両立ていた優等生だったようです。

もはや有名「島根大学」髭男の結成時代

大学はあまりに有名ですが、鳥取のお隣「島根大学・法文学部」。

島根大学と言えば、地方の大学ではありますが、言わずもがな国立大学の一つです。

最初は、東京や関西の大学に行きたかったそうですが、最終的には「実家から近い」という理由で島根大学を選んだそうです。

学部は、本人の希望通り「法律と経済」が学べる法文学部。

大学時代に「都会に出てさらに音楽活動に突き進んで行く!」という憧れもあったようですが、このころはまだ本気でプロを目指してなかったため、地元で進学することを選んだそうです。

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地元「銀行マン」として就職も、実は運命のイタズラ!?

就職もそのまま地元で…との流れになり、

島根の地方銀行である「島根銀行」(通称:しまぎん)で内定を得て、無事新社会人となることが決まりました。

しかし実は、その内定をもらった3ヶ月後・・・

インターネット経由で音楽業界の人からスカウトがあったとのこと!

一部ネット上で「藤原聡の堅実な性格ゆえに、スカウトを断って銀行に就職した」という話がありますが、

これは完全なる間違えで、藤原聡本人は、

内定が出る前なら飛び込んでいた

と語っています。

このように、またしても東京進出のチャンスを逃し少しのタイミングの差で「島根銀行」への入行が決まったのです。

大学在学中、もしくは卒業後すぐにデビューしていれば、もっとずっと前に髭男はブレイクしてた…?

これも運命のイタズラですね。

「島根銀行」勤務時代の有名エピソード

では、「有名進学校」→「国立大学」と地元のエリートコースを進み、

2度のチャンスを逃しながら、Official髭男dismのボーカル藤原聡がたどり着いた「銀行員」という仕事

果たして、藤原聡は会社員時代どんな銀行マンだったのでしょうか・・・?

さっそくみていきましょう!

ビジネスマンとしても優秀!藤原聡はトップ営業マンだった

藤原聡は、島根銀行に在籍していた2年間の間にかなりの成績を残しています。

勉強熱心で、資格もいくつか取ったそうです。

本人曰く、

同僚が親身になってバンドのことを応援してくれるからこそ、本業もしっかりやりたい。

職場に貢献したいって思いも芽生えたりして。

こう仕事へのまっすぐな想いを語っています。

また、有名なエピドーソとして、退職時に上司からこんな手紙をもらったそうです。

本当はもっといろんなことを教えていこうと思ってたけれど、きみの音楽が素晴らしいことも知っていた。

これからどんなに辛いことがあっても、耐え抜く心と素直さをすごく大事にしていけば大丈夫だよ。

手紙の内容から、上司にとても想われていたことが伝わってきますね。

このように、藤原聡(ボーカル)は会社員時代、音楽活動の「片手間」としての”仕事”ではなく、仕事にも熱意を持って取り組んでいたようですね。

遠回りなんてない!ここから名曲が生まれた

そして、やはり「人生に遠回り(ムダ)なんてない」と想わせてくれるもの。

Official髭男dismの名曲の1つコーヒーとシロップは、作詞作曲を手がけた藤原聡の「島根銀行での営業マン」時代の実体験が元になっている曲として生まれたのです。

それからFIRE GROUNDも、社会人からアーティストになると決めた時の葛藤や、見返してやるという気持ちが歌詞に込められているそう。

また最後の恋煩いという曲にも、元銀行員味が溢れ出している言葉が歌詞に出てくるようですよ!

このように、いろんな経験があったからこそ生まれてきた言葉(歌詞)、音楽があったのですね。

銀行マン時代は現在にも影響があった

もう一つ、藤原聡が銀行マンだったときの話として、お客さんとのやり取りでこんなエピソードがあったそうです。

僕、紅白出るのがひとつの目標なんです。

会社を辞める時に、あるお客さんのところに挨拶に行ったら自分が死ぬ前に紅白歌合戦に出て欲しいって言われて。

紅白って人が音楽に触れる場所として一番大きな場所なんだと思ったんです。

「Official髭男dism」は、このときまだメジャーデビューさえしていなかったものの、地元では有名なバンドで、上司や同僚のみならず、お客さんでも藤原聡のことを応援していた人は多かったみたいですね!

そして、この言葉を言われたわずか数年後・・・

2019年末の紅白歌合戦、初出場を見事に成し遂げたのでした!

「誰かに応援してもらえることが力になる」とも言えるし、「それほどみんなが応援したくなる人間性と音楽性を藤原聡がこのときから持っていた」と言えるのかもしれませんね。

紆余曲折「島根銀行」を退職した真相とは?

ではなぜ、そこまで優秀だった「銀行マン」という地位を捨てて、ミュージシャンとなったのでしょうか?

実は、藤原聡(Official髭男dismボーカル)、
「島根銀行」に勤務していた際は、毎週こんな生活を送っていたそうです。

月〜金 →(普通に)銀行マンとして勤務

金曜の仕事終わり → 夜行バスで東京へ!

日曜の夜 → 夜行バスで島根に戻る

それほどまでに、音楽への情熱を諦めきれなかったのでしょうが、こんなハードの生活の中でついに体調を崩してしまいます。(本人もかなりキツかったと振り返っており、胃腸炎になったそう。。)

そしてついに・・・!

インディーズデビューを果たて少し経った2016年、仕事を退職し、上京する決意を固めたということなのです。

Official髭男dism藤原聡は、島根銀行の元トップ営業マンだった!まとめ

Official髭男dismのボーカル藤原聡は「島根銀行のトップ営業マンだった!」ということが判明しましたが、

これまでの経歴を追って行く中で、藤原聡は、学業にも、仕事にも、誠実に取り組む多才でありながら堅実な努力家であることが、とてもよく分かりました。

これからの活躍が期待される、Official髭男dism。応援しています!

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