木村拓哉主演の日曜劇場「グランメゾン東京」への出演が決まった若手俳優の寛一郎。
寛一郎は、父に佐藤浩市、祖父に三國連太郎をもつ、いわゆる「二世・三世」といわれる俳優。
演技の実力は…?と注目が集まった寛一郎でしたが、見事、高評価を得て「期待の若手俳優」と絶賛されています。
今回は、そんな寛一郎の演技力について、父・佐藤浩市からどのような影響を受けたのか?そして、気になる2人の現在の関係について、まとめました。
CONTENTS
寛一郎が俳優になった経緯と父・佐藤浩市からの影響
幼少期からの身近な世界と反発
寛一郎が小さい頃から、父・佐藤浩市に連れられていた映画の現場は寛一郎にとって1番身近な世界。
しかし、そのまま父・佐藤浩市の背中を追うことに抵抗感があってか、本音(純粋な興味)に反して、その俳優になるという選択肢を自分自身で否定していました。
俳優の道を歩むことを決めたきっかけ
転機は、父・佐藤浩市の仕事関係の人からスカウトされたことで訪れました。その後、寛一郎は、高校卒業してアメリカに留学。そこで演技を勉強。18歳の時、本格的に役者を目指すことを決意しました。
物心がついて自我を持ってからは、他に(あこがれた職業は)ありません。
俳優になるのは「必然」だったが、決心には時間がかかった。
自分から逃げ続けてきたんだと思います。
家族や俳優という職業ではなく、自分から逃げていました。
答えを出すまでに18年間かかったんです。
名前の由来と込められた決意
「寛一郎」は本名で、フルネームは「佐藤寛一郎」。
『寛』は、未熟児で生まれたため「大きく伸び伸びと育ってほしい」「寛大な心を持ってほしい」という意味が込められた。『一(イチ)』は、父・佐藤浩市の「イチ(市)」から。『郎』は、祖父・三國連太郎の「郎」から。
父・佐藤浩市のイメージを少しでもなくし自分の力で勝負する決意を込めて、芸名は「佐藤」を外し「寛一郎」にしました。
寛一郎が俳優になった際の父・佐藤浩市のサポート
実は、父・佐藤浩市は寛一郎が役者になるサポートを一切しなかったそうです。
佐藤浩市自身、父親である三國連太郎(寛一郎の祖父)に突き放されたからこそ、ここまでこられたという自負がある。だからこそ、あえて寛一郎を信じて「突き放す」ことを選んだようです。
「2世俳優」と言われること
それ込みで俳優になりましたから。
生まれた時からずっと言われてきましたし、役者にならなくても言われたと思いますし。これから言われることが多くなっても、それは覚悟していることなので。積み重ねていくしかないと思います。
こうキッパリと語った寛一郎。
18年間の回り道の末、自分で決めた「役者」という道だからこそ、そこに向き合う覚悟は誰よりも強く持っているのでしょう。
演技力に関して 父・佐藤浩市からの影響
紆余曲折あったのちに、決めた父・佐藤浩市と同じ「俳優」という職業。
その演技力は、高評価。「期待の若手俳優」と注目され、順調な滑り出しを見せています。
そんな寛一郎の演技力は、父・佐藤浩市からどのような影響を受けたのでしょうか?
父が息子に教えられること
第40回日本アカデミー賞で「最優秀主演男優賞」に輝いた2017年3月、父・佐藤浩市は寛一郎への思いをこのように語っていました。
僕が現場で教わってきたことが、そのまま彼に活きる世界ではない。
彼(寛一郎)が仕事をする新しい方々とどういう形で接して、色々なことを吸収していけるか。助言を求められれば言うこともありますけど、今の子はそういうこと言わないですよ。
どういう役者になっていくかは誰もわからない。
こう語っているように、父・佐藤浩市から寛一郎へは、演技に関しての助言や指導はほぼ行なっていないそうです。
「こんな俳優になってほしい!!」という親としての思い入れもあまりないようで、やはりいい意味で寛一郎を自立した大人として信頼しているようですね。
また、別のインタビューで、寛一郎自身も、父・佐藤浩市同様にこのように語っています。
(父・佐藤浩市に役作りの)相談はしません。
僕は人から答えを聞いて教わるのではなく、自分で考えて答えを見つけたいタイプなんです。
父親と仲が悪いわけではなく(笑)。
このように、演技に関しての直接的な助言や指導は父・佐藤浩市から受けていないものの、
その役者の道を追求していく姿勢については、その哲学を父・佐藤浩市からしっかりと受け継いでいるようですね。
父は寛一郎の出演作をきっちりチェック
とはいえ、父・佐藤浩市が全く俳優としての寛一郎に関心を持っていないかといえば、決してそんなことはありません。
佐藤浩市の父親らしい一面が現れたのが、2019年9月トーク番組『ボクらの時代』(フジテレビ)。最近、映画館で観た映画を問われると、照れくさそうに「うちの坊主の映画です」と、寛一郎の出演作をきっちりと鑑賞していることを言及していました。
出演作については、「息子として」ではなくプロ目線で「一俳優」として観たと言いつつも、
「何とかやってんな」と正直ホッとした部分もあったとのこと。
俺は(ダメ出しを)言う側、言われる側、両方の気持ちが分かるから。
お芝居のことに対しては、あまり言わないです。
このように、やはり演技に関しての直接的な助言や指導は行なっていないそうでした。
現在の父と子の関係
寛一郎が俳優になると決めた経緯、そして具体的なきっかけには父・佐藤浩市の影響を強く受けているものの、
寛一郎が役者になる際、そしてその後も、演技について相談したり、助言や指導を受けることはなかったという寛一郎と父・佐藤浩市の関係。
その後、時間が流れた2人の現在の関係は何か変化があったのでしょうか?
「グランメゾン東京」出演に際して
寛一郎はこれまで映画を中心に活動してきたため、ゴールデン帯の連続ドラマにレギュラー出演するのは「グランメゾン東京」が初めて。
寛一郎が小さかった時に、父・佐藤浩市の撮影現場に行かせてもらい、そこで木村拓哉によく遊んでもらってたとのこで、また木村さんに会えればなぁという想いがあったそうです。
…なんですが、父・佐藤浩市から「拓哉と一緒なんだってな」と言われ「そうだよ」と返したのみで、それ以上の会話は結局なかったとのことでした(笑)
2人の関係に変化は…?
現在、韓一郎は実家を出ており、仕事については、母経由で父・佐藤浩市に報告がいくという距離感のようです。
そして変わらず、寛一郎の直近のインタビューでも、芝居については父・佐藤浩市と踏み込んだ話はしないとのことでした。
その一方、こんな素直な想いも語っていました。
ただ、デビューから2年やってみて、自分のことを分かって応援してくれる人がいるので、頑張れるというところはあります。
直接的なものがなくても、父・佐藤浩市の想いはしっかり寛一郎に伝わっているようですね。
これからも、双方がお互いにいい影響を与え合って、役者として色が深まっていくのが楽しみです!
寛一郎の演技が絶賛!父・佐藤浩市からの影響と現在の意外な関係 まとめ
2世俳優として注目が集まっただけではなく、その演技力も高い評価を得た寛一郎。
しかし、その演技に関して父・佐藤浩市からは、直接的な助言や指導は受けていないことが分かりました。
とはいえ、幼少期から映画の撮影現場によく連れていってもらい多くの一流俳優たちと触れ合ってきた環境や、2人の役者としての後ろ姿……こういった間接的な部分で父・佐藤浩市、そして祖父・三國連太郎から受けている影響は、計り知れないですよね。
寛一郎は「今後の目標」について、このように語っています。
周囲の期待に応えるしかないと思います。
そして、いい意味で期待を裏切れる役者になりたい。
佐藤浩市を父親に持ち「2世俳優」というプレッシャー(期待)を背負いながらも、俳優として、自分の力でその道を切り開いていく覚悟を持つ寛一郎。
これからますますの活躍に、注目が集まりそうです!